- はじめに
SARSが終息してから17年後の2020年初め、湖北省武漢市を発生源とする新型コロナウイルスの感染による肺炎(以下、「NCP」という)が猛威を振るうなか、中国の感染予防体制は厳しい試練に晒されている。1月23日午前2時、武漢市新型コロナウイルスの感染による肺炎予防・抑制指揮部が第1号通告[1](事実上の「都市封鎖令」)を公布したことにより、全国範囲にわたるNCPとの戦いが始まったといえる。中国の中央政府及び地方政府は、次々と専門の緊急対応指導機関を立ち上げ、公文書を公布し、感染範囲の更なる拡大を防ぐために矢継ぎ早に厳格な予防・抑制措置を講じた。
「疫病予防・抑制指揮部」又は「疫病予防・抑制業務指揮部会」(以下、「NCP予防・抑制指揮部」という)等と名付けられた組織により公布された公文書について、この特殊な時期において多数の人は自発的に遵守すると思われるが、かかる要求を無視し、ひいては故意に違反した者も多く存在している。過日、弊所のクライアントから、従業員がNCP予防・抑制指揮部の公布した文書に違反したことを理由に労働契約を解除することができるかという相談が寄せられた。実は、この問題は、①NCP予防・抑制指揮部が法律上、どのような性質の組織に該当するか、②NCP予防・抑制指揮部の公布した公文書の法的効力はどのようなものか、③企業又は個人がかかる公文書に定める予防・抑制措置を講じなかった場合、どのような法的責任が生じるのか、という3つの側面に分けて検討する必要がある。本稿は、突発公共衛生事件への緊急対応及び労働契約法の側面から、上述の問題を整理するものとしたい。
- NCP予防・抑制指揮部の法律上の性質
「突発事件対応法」(全国人民代表大会常務委員会、2007年8月30日公布、2007年11月1日より施行)8条によれば、県レベル以上の地方人民政府は、当レベルの人民政府の主要責任者、関係部門の責任者、現地に駐在する中国人民解放軍及び中国人民武装警察部隊の関連責任者で結成される突発事件応急指導機構を設立し、当レベルの人民政府下の関連部門と下級人民政府による突発事件への対応業務を統括的に指導、調整し、実際の必要性に応じて、関連する種類別の突発事件応急指導機構を設立し、突発事件への対応業務を組織し、調整のうえ指導する。また、「突発公共衛生事件緊急対応条例」(国務院、2003年5月9日公布・施行、2011年1月8日改正。以下、「緊急対応条例」という) 4条によれば、突発事件の発生後、省、自治区、直轄市の人民政府は、地方において突発事件応急処理指揮部を設立し、省、自治区、直轄市の人民政府の主要指導者が総指導官を担当し、本行政区域範囲における突発事件応急処理業務を統率・指導するものとされている。また、県レベル以上の地方人民政府の衛生行政主管部門は、突発事件の調査、抑制及び医療救援業務を担当し、県レベル以上の地方人民政府の関連部門は、各自の職責範囲内で突発事件応急処理に関する業務を遂行するものとされている。
上記法令からずれば、NCP予防・抑制指揮部は、今回のNCPの発生後、各地の人民政府が上記法令に基づいて設立した、自らの行政区域における突発公共衛生事件の応急処理業務の統率、指導を担当する組織であると解される。
行政法の理論上、行政主体は、①行政機関、②法令により授権される組織、及び③その他の社会公権力組織を含むと一般的に認識されている。そのうち、②の法令により授権される組織とは、具体的な法令の授権に基づき、特定の行政上の職権を行使する国家行政機関以外の組織をいい、法令により授権される行政職権を行使する際に初めて国家行政権力を有し、行政法律責任を負うものである。また、かかる組織が行使する特定の行政職権は、関連法令において明確に定める具体的な職権又は具体的な事項に限定され、その範囲は比較的狭く、限定的なものである。さらに、かかる具体的な法令に基づく関連組織への授権は、通常、期限付きであり、授権された行政事務を完了した後、かかる授権も即時終了する。[2]
上記の定義と特徴に照らしてみると、各地の人民政府がNCPの爆発的な流行後に関連法令に基づき設立したNCP予防・抑制指揮部は、今回の突発公共衛生事件の応急業務の統率・指導のために設立した専門的な組織であり、疫病の発生・まん延期間において、NCP予防・抑制機関は、関連法令の規定に基づいてその職権を行使し、NCPが終息した後に指揮部もその職務の完了をもって解散する。これらに鑑み、NCP予防・抑制機関は、法律上、法令により授権される組織に該当すると理解される。実際に、疫病の予防・抑制は、衛生行政部門のみの職責ではなく、交通運輸、市場監督管理、民政、税関、工業情報化、人力資源社会保障、財政、税務など各政府部門の協力も不可欠である。それゆえ、NCP予防・抑制指揮部は、統率、指導の役割を果たすとともに、関連政府部門間の検討・調整機関でもあると考えられる。
- NCP予防・抑制指揮部の公布した公文書の効力
「国家突発公共衛生事件緊急対応策」(マニュアル)(国務院、2006年2月26日公布・施行。以下、「緊急対応マニュアル」という)によれば、省レベルの突発公共衛生事件応急指揮部は、省レベルの人民政府の関連部門により結成され、属地管理の原則に従って自らの行政区域における突発公共衛生事件応急処理の調整と指導を担当し、その行政区域内の突発公共衛生事件に関する意思決定を行い、講ずべき措置を決定するものとされている。また、突発公共衛生事件の発生地に所在する県、市、省レベルの人民政府及びその関連部門は、突発公共衛生事件の等級に応じて緊急対応を行い、ぞれぞれの行政管轄区域における突発公共衛生事件について、どのように処理するか、どのような緊急対応策を講ずべきかなどの事項を決定する権利を有する。
「伝染病予防治療法」42条、44条、45条、「緊急対応条例」33条、34条及び「緊急対応マニュアル」4.2条をみると、突発公共衛生事件が発生した場合には、各地の人民政府又は疫病予防・抑制指導機構が主導となって、次に掲げる9つの側面から応急措置を講ずるべきである。
- 関連部門を組織し、協調して突発公共衛生事件の処理業務に参加させること
- 突発公共衛生事件処理の必要に応じて、当行政区域内の人員、物資、交通機関と関連施設・設備を集合・集積すること
- 疫病の拡大抑制対象区域を確定し、それぞれの権能等級に応じて対象区域の封鎖を決定すること
- 集会、演劇・映画館の上演その他群集活動の制限又は禁止、休学・休業、建物、交通機関や関連施設と設備の一時収用等の疫病抑制措置を実行すること
- 流動人口について予防・抑制措置を講じ、感染者又は感染した疑いがある者に対しては即時検査・隔離・治療措置を実施し、濃厚接触者に対しては集中的な又は自宅での医療観察措置を実施すること
- 鉄道、交通、民用航空、品質検査等の部門をして、交通結節点・出入国検問所において交通機関、乗客、動物及び物資に対して交通衛生検疫措置を実施させ、患者、疑似患者及び濃厚接触者に対して臨時隔離等の措置を講じること
- 関連部門をして、事実に即して自発的かつ迅速に情報開示を行わせること
- 各基層組織をして、衛生行政部門等の関連部門と医療機関と協力しながら、疫病に関する情報の収集、報告、人員分散隔離及び公共衛生措置を適切に実施させること
- 関連部門をして、商品供給の確保、物価上昇の抑制、買占めの防止等の業務を行わせ、虚偽の風説流布等の違法・犯罪行為を厳格に取り締まることNCPのまん延期間に公布された通告や通知の内容からみると、各地のNCP予防・抑制指揮部は、基本的に前記した法令に定める緊急措置を踏まえ、現地の実状に合わせて予防・抑制措置を具体化し、本行政管轄区域における不特定の対象者をして遵守、執行させるよう要求している。NCP予防・抑制指揮部の法律上の性質とその公布した公文書の内容に鑑みれば、かかる公文書は、行政規範性文書であるといえる。すなわち、国務院の制定した行政法規、決定、命令及び部門規則や地方政府の制定した規則以外の、行政機関又は法令の授権を受け公共事務を管理する職権を有する組織が法定の権限と手続により制定のうえ、それを社会に向けて公布し、国民、法人及びその他組織の権利義務に関わるものであって、一般的な拘束力を有し、一定期間内に繰り返して適用される公文書に該当すると思われる。
- NCP予防・抑制指揮部の公布した公文書に違反した場合の法的責任「行政処罰法」14条によれば、法律、行政法規、地方性法規、規章を除き、その他の規範性文書は、行政処罰を設けてはならない。前述した分析のとおり、NCP予防・抑制指揮部の公布した公文書は、行政規範性文書に該当するため、行政処罰を設けることはできず、かかる公文書を根拠として直接に行政処罰を科すこともできないと考えられる。もっとも、これはかかる公文書に違反した場合、何らの法的責任も負う必要がないことを意味するものではない。というのも、今回のようなNCPの予防・抑制を目的とした行政規範性文書は、NCP予防・抑制指揮部が行政の効率化のために、地方人民政府の行政管轄区域における実状を踏まえながら、「突発事件対応法」、「伝染病予防治療法」などの法令に定める緊急対応策や応急措置を具体化したうえで作成したものである。公文書自体に行政処罰を設ける権限はないものの、それに違反した場合には、その上位法を根拠として処罰される可能性がある。具体的に、「突発事件対応法」66条と68条によれば、単位[3]若しくは個人が同法に違反し、所在地の人民政府及びその関連部門の公布した決定、命令に従わず、又は人民政府及びその関連部門の法により講じる措置に協力せず、治安管理違反行為を構成する場合、公安機関は、法により処罰する。犯罪を構成する場合には、法により刑事責任を追及する。また、「治安管理処罰法」50条によれば、人民政府が緊急事態の下で法により公布した決定や命令の遂行を拒否した場合、警告又は200元以下の過料を科し、情状が重い場合には、5日以上10日以下の行政拘留に処するとともに、500元以下の過料を科すものとされる。「刑法」と「突発性伝染病などの災害の予防、抑制の妨害にかかる刑事事件の取扱いにおける具体的な法律適用の若干問題に関する解釈」によると、NCPのまん延期間において、単位又は個人が関連決定や命令に従わない場合には、伝染病予防治療妨害罪、危険な方法による公共安全危害罪、公務執行妨害罪などを構成する可能性がある。NCPのまん延以降、NCP予防・抑制指揮部の公布した通告・通知に定められた予防・抑制措置の遂行を拒否した個人が行政処罰を受けた事例や刑事事件として立件された事例は既に複数件発生している。例として、以下の2つを取り上げたい。
- 行政処罰事例
2020年2月4日、浙江省台州市三門県の県民たる丁氏は、当地のNCP予防・抑制指揮部の公布した第14号の通告に定める「人員を集める活動を厳しく禁止する」という緊急措置を無視し、7人の友人を誘って自宅で麻雀に興じた。これに対し、公安機関は、「治安管理処罰法」に基づいて同氏を5日間の行政拘留に処した。
- 刑事事件として立件された事例
湖北省武漢市から青海省西寧市に帰省した苟氏は、西寧市NCP予防・抑制指揮部が公布した第5号の通告に定める「重点地域から戻った者のコミュニティ(村民委員会)への自主申告と自宅隔離の要求を履行せず、自身と息子の武漢市での滞在歴を隠蔽し、発熱や咳等の症状があるにもかかわらず、度々外出してむやみに多数の隣人と密接に接触した。検査の結果、同氏とその息子は、新型コロナウイルス感染症と診断され、公安機関は、「刑法」と「伝染病予防治療法」などの関連法令に基づき、危険な方法による公共安全危害罪の疑いがあるとして刑事事件として立件した。
上述した法令と事例からみれば、NCP予防・抑制指揮部の公布した公文書に違反した場合、公安機関により行政処罰を受けるのみならず、刑事事件として立件され、犯罪を構成する場合には刑事責任が問われる可能性もある。もっとも、行政処罰又は刑事処罰を科すか否かは、公安機関又は司法機関が違法・犯罪行為の情状や程度を踏まえて判断する。この点について留意する必要がある。
さて、本稿の冒頭で言及した弊所クライアントから寄せられた相談事項を振り返ると、中国労働契約法に定められた労働契約解除の条件として、法に従って刑事責任を追及された場合が挙げられている(労働契約法39条6項)。それゆえ、仮に従業員がNCP予防・抑制指揮部の公布した通告に違反したとして、犯罪を構成し刑事責任を問われる場合、会社は労働契約を解除することができるが、労働契約及び社内規則に別段の定めがない限り、単に通告違反行為を行った、又は行政処罰を受けたことを理由に労働契約を解除することは原則としてできないと考えられる。一方、NCP予防・抑制指揮部の公布した通告は行政規範性文書であり、それに違反した場合、必ずしも社内規則への違反行為を構成するとは限らない。それゆえ、従業員によるNCP予防・抑制指揮部の公布した通告への違反を理由に労働契約を解除することは、社内人事管理の側面からも適切であるとはいえない。さらに、会社が従業員の通告違反行為により重大な損害を被った場合(例えば、疫病予防・抑制をめぐって単位責任が問われた、又は名誉毀損を受けた等)、現行の労働関連法令上、労働契約を解除する十分な法令根拠もないと考えられる。会社の規則制度に著しく違反したことが中国労働契約法上の法定解除条件として規定されている(労働契約法39条2項)が、これを理由に労働契約を解除する場合、会社は、従業員が社内規則に著しく違反する行為を行ったことについて立証責任を負わなければならない。弊職らの経験からすれば、実務において、この点を証明するハードルは相当高いため、労働契約や就業規則といった社内規則の内容に基づいて慎重な判断が求められる。
- おわりに
以上、NCP予防・抑制指揮部及びその公布した公文書の法的性質に加えて、当該公文書に違反した場合の法的責任といった3つの点について、具体的な事例を交えながら紹介した。中国政府と各業界による共同での努力の下、NCPの状況が徐々に改善されつつあるが、まだ先がみえない懸念が残る。NCPとの戦いが続くなか、各地のNCP予防・抑制指揮部は必要に応じて通告・通知を引き続き公布する可能性があると予想される。緊急事態のもとで、かかる通告・通知に定める一部の具体的な予防・抑制措置の適法性が問われるケースも見受けられるが、これを問わず、一部措置の実行可能性については、企業の状況を踏まえながら検討する必要がある。企業においては、政府による予防・抑制業務に協力する一方、業務や従業員など自社の状況に応じて関連措置を適切に実施し、必要な場合には、NCP予防・抑制指揮部又は関連部門に連絡し、かかる措置の実行可能性を高めるために柔軟な対応策を講じてもらう相談の実施も考えられる。
以上
文責:洪暁蕓(中国弁護士)、龔智彦(中国弁護士)
監修:閔煒(中国弁護士)、王臻婷(中国弁護士)
最後に、本稿の作成にあたり実習生の陸妲汐氏が調査に協力してくれた。ここに記して感謝の意を表したい。
[1] 当該通告は、「2020年1月23日10時から、全市の路線バス、地下鉄、フェリー、長距離バスの運行を一時停止する。特別な理由がない限り、市民は武漢を離れてはならない。空港や鉄道駅から武漢を離れるルートを一時閉鎖する」旨を規定した。
[2]姜明安(編)、『行政法と行政訴訟法』、北京大学出版社・高等教育出版社(2019年3月第7版)、107~108頁。
[3] 会社、企業、団体、機関等の組織の総称。