第二部分では、欧米の実務と比較研究することで、現在の中国での化合物特許の審査基準、特に進歩性の問題に関する審査基準について、改善のための提案を示す。
一.化合物特許の進歩性判断における発明起点の選択
発明起点の選択は、米国では非常に重要な争点であり、欧洲では特定の状況において慎重に考慮すべき問題である。中国の無効審判の審査実務では、「3ステップ法」により化合物の進歩性を判断するが、その際、発明起点として、通常は無効審判請求人が選択した従来技術案が直接採用される。
米国では進歩性(非自明性)の評価において発明起点、即ちリード化合物の選択が非常に重視される。米国では通常、多くの特許無効紛争案件において、無効審判請求人が示した技術案を当業者がリード化合物として選択するか否かに審議の焦点が集中する。リード化合物は通常、従来技術のうち同一の技術分野での効果が最も優れた化合物のうちの1つであり、従来技術において発明との構造上の差が最も小さい化合物が必ずしもリード化合物とされるわけではない。無効審判請求人が選択した従来技術の化合物がリード化合物になり得ない場合は、本発明の化合物が非自明性を有すると直接、認定できる。
欧州特許庁は、無効審判請求人が、最も近い従来技術として自由に従来の技術案を選択することを認めているが、最も近い従来技術の選択には後知恵が存在する可能性がある点を強調している。従来の技術案に明らかな欠陥が存在するため、当業者がそれを出発点として改良を行うことを全く考えられない場合、このような技術案は適格な発明創造の起点にはなり得ない。そうでなければ後知恵の問題を引き起こすことになる。
中国の進歩性審査の実務では、発明起点の合理性を審査すべきか否かについて常に議論が生じてきた。無効審判及び行政訴訟において、無効審判請求人は通常、技術的効果がより優れた化合物ではなく、構造上本発明の化合物と最も近い化合物を、最も近い従来技術として選択するが、審査の実務では通常、無効審判請求人が指定した技術案を、最も近い従来技術及び発明創造の起点とし、当該技術案が発明起点に相応しいかどうかは審査しない。「3ステップ法」の第1ステップ、即ち最も近い従来技術の選択は任意に選択可能であり、請求人が選択した従来技術よりさらに本発明に近い従来技術が存在し尚且つ本発明が進歩性を有する場合、請求人が選択した従来技術から「3ステップ法」に基づき評価する際も、進歩性を有するという結論が得られるはずである、このように指摘した判決さえ存在する。
「3ステップ法」の神髄は、できる限り客観的に比較し、主観的要素が進歩性判断に及ぼす影響を取り除き、特許出願前の状態に戻って客観的に判断することであると我々は考える。最も近い従来技術を確定する際に、発明の技術案を参考に最も近い従来技術を選択するという方法では、確かに、発明と最も近い従来技術を迅速に探し出すことが可能である。しかし別の面では、最も近い従来技術は、当該発明の技術案と対比して後から選択したものである。このため、無効審判請求人が出願日以降に、最も近い従来技術を思いのままに選択することを許し、当業者の角度から出願日時点で最も選択する可能性のある発明の起点に対し判断を行わないのであれば、当分野の発明・革新の一般的な慣例から逸脱し、発明・革新の難易度を過小評価してしまう可能性があり、その結果「後知恵」の疑いが生ずることは免れない。
化合物の進歩性の判断では、まずリード化合物を選択し、その後当該リード化合物の修飾方向を選択すべきである。リード化合物の選択では、当業者が従来技術の中から選択可能か否かの動機、及び予期される成功の可能性を具体的に分析する必要がある。科学研究の慣例又はプロセスから考えると、医薬分野の一般的な研究開発者がリード化合物を選択する際の基本的な根拠は、従来技術における関連化合物の全体的な教示であるはずである。従来技術全体の状況を理解した後、当業者が研究開発しようとするものは、既知の用途、効果及びその他医薬分野で通常考察される物理化学的性質を総合的に考慮した後の、最も優れた、つまり最も有望な化合物であるべき。逆に、構造上の差が小さい化合物が明らかに排除された状況では、当業者は、構造上の差はより大きいがより有望な他の化合物を、発明創造の起点として選択する可能性の方が高い。構造上の差が小さい化合物を最も近い従来技術として無理に選択し進歩性の分析を行い、時には従来技術で開示された活性を有しない中間生成物までも最も近い従来技術としてしまうと、発明創造の一般的な慣例から逸脱し、進歩性分析の仮定プロセスを、現実の世界で採用される方法から明らかに逸脱させてしまう可能性が大いにある。
したがって我々としては、「3ステップ法」の第1ステップにおいて、無効審判請求人に対し、特定の従来技術の化合物を最も近い従来技術として選択した理由を詳細に説明してもらい、それが従来技術において「最も有望な」化合物である理由を詳細に述べてもらうよう要求することを提案する。特許権者が提出した証拠が、顕著に優れた従来技術の化合物が存在することを示している場合、又は、無効審判請求人が選択した化合物に明らかな欠陥が存在する場合、無効審判請求人が選択した化合物が最も近い適切な従来技術であるか否かが審査されることになる。審査実務において、最も近い従来技術及び発明起点の選択に関し議論の余地を残しておくことを提案する。必ずしも、無効審判請求人が選択した化合物を起点とする必要はない。
二.化合物特許の進歩性判断における構造修飾の動機及び示唆
米国では進歩性(非自明性)の評価において、リード化合物の選定後、リード化合物から構造体修飾を行う動機及び示唆が存在するか否かについても非常に重視される。米連邦最高裁がKSR事件において確定した、当業者が有する「通常の創作能力」によれば、当業者は同一分野で構造修飾を行う一般的な手段を参考にすることができるが、すべての構造修飾の動機には成功の合理的予見が存在すべきである。即ち修飾後に得られる化合物が活性を高めるか、又は従来化合物における既知の欠陥を解決でき、且つ化合物の既知の長所は失われないと予期できなければならない。このような動機は、仮定の類似性又は広い範囲の構造の類似性だけに依拠することはできず、科学的慣例又は実験による明確な証拠証明が必要である。
欧州特許庁は進歩性の評価において、化合物に対する構造変更は、当該変更が化合物の性質に明らかな変化をもたらす可能性は低いと証明する明確な証拠が存在しない限り、全てその性質に影響を与えるはずであると想定している。欧州特許庁は審査の実務において、このような証拠は、従来技術における一般式化合物による教示であってよいが、このような教示は、変更不可能な部分、置換基の位置及び選択可能な置換基のタイプ等を含めた当該一般式化合物の構造の定義を超えてはならない、と明確化している。特に、欧州特許庁は「生物学的等価体」等の薬品設計において考慮される可能性がある方法は、経験則であり非科学的理論であると明確に認定しており、このため、これらの経験則が対象の特定化合物の構造に適用できるという明確な検証がない場合も、構造の変更が性質に影響を与えることが想定されなければならない。
中国の進歩性審査の実務では、主に「構造上近い否か」に基づき判断が行われる。具体的に、発明の化合物が従来技術の化合物と「構造上近くない」場合、通常、化合物は進歩性を有する。反対に、当該発明の化合物が従来技術の化合物と「構造上近い」場合、通常、進歩性を証明するために、予見できない技術的効果が必要となる。しかしながら、特許審査指南では発明の化合物が既知化合物の構造と近いかを判断する際の具体的且つ明確な判断基準が示されておらず、いくつかの特定の情況での例示、例えば「構造上近い化合物は、同一の基本的な核心部分又は基本的な環を有する」ことが示されているだけであるが、こうした 「基本的な核心部分」及び「基本的な環」の概念に対し、さらなる定義は示されていない。このことから、構造上近いかどうかの判断に対し、案件により審査官の間で異なる見解が存在し、判断の尺度が統一されておらず、これは、化合物特許では他の化学医薬分野の特許と比べ技術的効果や実験データがより重視される傾向となって現れている。
我々の認識では、進歩性の判断において、構造上近い化合物に対し、予測外技術的効果のみが要求される理由は、当業者はこの類の化合物に何らかの構造活性相関があることをすでに認知しているため、ある種の構造変更をして得られる化合物も大体似通った技術的効果を有することを合理的に予期することができるので、こうした予想を上回る場合に限って化合物が進歩性を有することになるからである。例えば、有機化学分野では、化合物の一般的な物理化学的性質(融点、沸点,pH等を含む)は通常、一定の規則性を有するが、これらの規則に従い化合物に対し構造変更を行った際、当該化合物が予測外技術効果を実現できる限り、進歩性を有すると判断できる。
しかしながら、薬品分野において化合物が薬効や治療効果を有するか否かは、依然として非常に予測が困難である。その理由は、治療効果は人体内部の生体高分子に関わり、こうした生体高分子は、より複雑な構造を有するからである。例えば、医薬研究開発では通常、「鍵と鍵穴モデル(lock and key model)」より薬品作用のメカニズムが簡略的に示される。つまり、薬品は、所望される生物的作用を担うターゲット(例えばアクセプタ)と互いに補完的に結合する場合のみ、本来の役割を果たすことができる。このような互いに補完的な結合は、共有結合、静電作用、水素結合、疏水作用、ファンデルワールス力等を含む複数の相互作用の結果であるため、結合部位が、化合物の共役環構造等の比較的大きい部分、又は水素結合ドナーアクセプタ基、イオノゲン基等の比較的小さい部分に及ぶ可能性があり、こうした相互作用は事前に予測することが困難である。
実際の医薬研究開発では、研究開発者は通常、特定種類の化合物の構造活性相関を研究し、こうした構造活性相関を一般式化合物又は具体的な化合物の種類別として文献にまとめるが、この中には変更できない構造部分、置換基の位置、及び選択可能な置換基の範囲等が含まれる。このような記載は、研究開発者の薬品化合物の構造活性相関に対する研究の境界となっており、この境界の内側は、研究開発者が実験を通して検証し、又は合理的に推測した化合物を示し、境界の外側は、まだ探求されていない、構造活性相関がはっきりしない化合物を示す。このため、こうしたまだ探求されていない化合物が、関連する活性等の技術的効果を有するか否かは、依然として予測が非常に困難である。
したがって、「3ステップ法」の第3ステップでは、科学研究の一般的な慣例を尊重し、医薬分野等での構造活性相関の予期が非常に困難である点を認め、従来技術において一般式化合物、具体的な化合物、効果の説明等を含め全体的に教示される構造活性相関を総合的に考慮し、探求済みの構造活性相関をベースに、構造の修飾において成功が合理的に予期されるか、及び対応する構造修飾を行う動機が存在するかについて、判断を行うよう提案する。実際、国家知識財権局第42407号無効審決(スニチニブ化合物無効案件、2019年10大復審無効案件)、第45997号無効審決(リバーロキサバン化合物無効案件)、及び最高裁(2016)最高法行再41号(オルメサルタン化合物無効案件、2017年中国裁判所10大知的財産権案件),北京市高級人民裁判所(2018)京行終6345号(チカグレロル化合物無効案件、2018年中国裁判所 知的財産権典型案件50件)等では、国家知識財権局及び裁判所はいずれも、従来技術で教示されている既知の構造活性相関をベースに構造修飾の動機及び示唆を判断すべきであることを、明確化するよう試みている。審査実務においてこのような方法をさらに確実なものとし、従来技術が教示する既知の構造活性相関を確定するための具体的な判断方法を示すことを提案する。これは、審査基準を統一し、特許出願人に指針を示すのに役立つはずである。
[1] 作者均为北京市金杜律师事务所专利代理师
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